こちらの記事を発端とする一連の記事の続報です。

一部に、「いじめへの早期対応を促すためには、拡散もやむを得ない」(から全否定はできない)という論調があるようです。

しかし、他に手段がないことは、直接は、それをやっても許される(やるべきだ)ということにはつながりません。そこには、少なくとも弊害の比較が欠かせません。

たしかに、「いじめ」が正当に「犯罪」として評価されてこなかったという歴史はあります。しかし、こと今回の動画に関する限り、一方的に殴られ続けて物理的に痛み続けるという放置の弊害(これも無視してはいけません。)と、直接は無関係な家族ぐるみで特定されてさらされてネット上に残り続け社会的に抹殺されるという予測も容易な拡散の弊害については、どちらが大きいと考えるのでしょうか?そして、それを「拡散者」や「攻撃者」は評価できる立場なのでしょうか?より悪いのは特定屋とはいえ、立派な「犬笛」になることは、先の「歴史」と同じく、動かしがたく、かつ、誰の目にも明らかな今の現実です。現状を踏まえた議論が必要でしょう。

先に悪いことを「始めた」のは「加害生徒」であるというのも、幼稚な言い訳と言わざるを得ません。少なくとも、あの動画からは、悪いことの「起点」まで読み取ることは不可能です。動画自体が「仕返し」の場面ではないと、どうして言えるのでしょうか?また、仮に言えたとして、起点を作りさえした者には、何をしてもいいのでしょうか?

まして、他の手段がないという主張までも、今回は独善的な思い込みとすら考えられます。事前に、動画を内々に持って行って、拡散すらも考えているとして学校にも警察にも相談したが、それでもすぐには動いてもらえなかったなど、手を尽くした末の拡散であったという事情は、少なくとも、動画や報道からはうかがえないのです。

とにかく、「特定屋」のみならず、「攻撃者」「拡散者」「拡散加担者」には、何の「正義」もあり得ず、それこそ「全否定」されるべき卑劣な行為であるという認識が広まってほしいものです。個人責任の社会では難しいのですが、多数まとまってしまっていることにより、相乗効果で悪影響が大きくなっていることも、個々人の責任の追及とは別に、それはそれとして社会的にもっと直視されるべきでしょう。

投稿者プロフィール

松本 治
松本 治
「弁護士は、社会生活上の医師である。」この信念に基づき納得の解決を目指します。
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