現在(令和7年12月20日)、再審に関する法改正の議論が進んでいます。

報道によれば、日弁連が提案している「再審開始の要件を広げる案」について、「こんなことで再審を認めたら、事実上、4審、5審などと永遠に続くことになり、司法制度に対しても不信感が募る」とする弁護士もいるとのことです。犯罪被害者の支援に尽力してこられた弁護士のようです。

ただ、この弁護士が、確定判決の効力と再審の関係について把握しておられるかは疑問があります。3審までを経て判決が確定すれば、再審請求があろうがなかろうが、収監されるなど刑は執行されます。(死刑に関して、待つかどうかは、死刑制度自体の是非にからむので、ここでは触れません。)その意味で、3審までと、「4審、5審」は、本質的に違うものです。

発言の趣旨をくみ取るとすれば、被害者の心理的区切りがつかないからということになりそうです。しかし、判決の確定は大きな区切りと言えますし、なにより、心理的な区切りに過ぎないことで、人生をかけた無実の叫びも含めて封じろというのが理解できません。客観的に間違っていたという事実があってその証拠すらも出てきた判決を、一旦確定したからという理由だけでそのままにしておくことこそ、「司法制度に対しても不信感が募る」というものです。特に、人違いの冤罪の場合、無関係の第三者であっても誰かが処罰されていれば被害者の感情としてはそれでよし、ということなのでしょうか。再審開始=無罪放免という図式が成り立つわけでもありません。

さらに理解できないのは、所属する団体が、検察官による不服申立ての禁止には反対していることです。早く落ち着きたいのであれば、再審請求審を長引かせず、再審本案審理の方で早く決着をつける方が理にかなっていると思います。どちらで決着がつこうと同じであったとしても、いや、そうだとすれば特に、一刻も早い救済に道を開くべきではないでしょうか。

そもそも、再審開始の要件がどうであれ、確定判決(3審まで)の効力自体や重みに影響はありません。影響させているとすれば、社会の扱いや被害者感情の方の誤解の問題です。被害者と加害者(とされた人)をいたずらに対立させて制度を議論すること自体が、誤った方向に行く可能性が高いと考えます。

なにより、どんなに善良な人にも冤罪は襲いかかるものであり、「明日は我が身」ということを忘れてはなりません。

投稿者プロフィール

松本 治
松本 治
「弁護士は、社会生活上の医師である。」この信念に基づき納得の解決を目指します。
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