現在(令和7年12月17日)与党の一角である日本維新の会が不穏な動画を出しました。
それは、現在野党が削減法案に否定的だが、2013年(平成25年)には民主党が「80議席削減法案」を出しているとして、藤田氏が「ここに証拠物件」とペーパーを示し、吉村氏が「80議席、どこの政党が出してるん?」とした上で、藤田氏が「その中で今いる人の名前を読み上げます」と言った後、揶揄するかのように何人か名前を挙げていくというものです。
こういう動画に品があるかとか、十数年間で多党化が進んだことを無視していないかとか、与党にいたいがために党利党略で「政治とカネ」をめぐって変節したのはどうなのかとかは、ここではおいておきます。
最も重要なのは、結論さえ正しければ、議論をしなくていいかのような姿勢です。(これは、法案にあったいわゆる自動削減条項にも表れていました。)
まず、結論が「正しい」かどうかが議論の前に分かるという前提自体が傲慢です。
その点をおくとしても、反対派が存在する以上、妥協も含めた説得・合意を目指す過程を経ることは、多数派と少数派が入れ替わり得るという前提に立つ民主主義では絶対に必要です。この「過程」自体が重要なのです。本当の民主主義は、相応の時間とコストがかかるのです。
さらに怖いのは、この正誤二元論的思考(何でも正しいか間違いかの2つだけに分けたがる考え方)が特定のカリスマ的個人や団体の登場と結びついたとき、簡単に民主主義は崩壊し、独裁・専制が訪れることを、ナチスドイツが証明しているということです。(軍国主義に突き進んだ時代の日本でも、曲がりなりにも選挙制度はありました。)
もし、民主主義が多数決のみを意味するなら、議会ほど無駄な制度はありません。一票の格差があり得ることを考えると、むしろ民主主義を歪曲する有害な制度ということになります。要するに、何でも直接国民投票にかければいいのです。
しかし、これをしてしまうと、充実した議論や説得・妥協は無理です。少数派の不満は、議論自体はあったという過程すら経ずにそのままということになります。その上、権力者(カリスマ)によって「利用」されれば、独裁強化の道具にもなります。歴史的にも、実際にこのような状態になったのであり、「プレビシット」と呼ばれます。多数決は、あくまで最終手段でなければなりません。
日本国憲法前文で、わざわざ「代表者を通じて行動し」とか「その権力は国民の代表者がこれを行使し」とされているのは、こういったことの反省も踏まえてのことです。
広く見ると、某テレビ局と某芸能人の問題にも通底するところがあって、手続保障を経ない正誤二元論に基づく「強者」による結論の「押しつけ」が社会的に蔓延していることが危惧されるところです。
すべての論点で「多数派」「強者」の側に立つことはできない以上、この思考停止は、必ず貴方にも牙をむく問題です。
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